医療の現場で仕事をしていると、部門システムや電子カルテなどを導入しているにも拘らず、それを全く活用していないということが驚くほどあります。
- メモを手書きして後から入力している
- 入力が得意な人にばかり仕事をお願いしている
- 機能があるのに使わず、従来通りのアナログ作業をしている
システムの機能を100%使っている施設のほうが珍しく、下手をすると半分も使いこなせていない印象です。仕事の効率を上げることが目的のひとつのはずですが、なぜこのようなことが起きるのでしょう。
この記事では、病院・クリニックに関する3つの視点から、医療のIT化が進まない理由について紹介します。
病院・クリニック経営者の視点から見た医療のIT化が進まない現状の理由
投資に対してどれだけの見返りがあるのか、経営的な判断をするのは当たり前のことです。見返りは金銭的な利益だけとは限りませんが、定量化しにくい指標というのは判断材料として適しません。
そして、医療系ソリューションには定量的評価が難しいものの方が多いのが事実です。
そんな中、病院・クリニック経営者の視点から見た医療のIT化が進まない理由には以下の3つが考えられます。
投資額を回収しにくい医療制度
そもそも医療施設というのは一般的な営利企業と違い、設備投資分を見越して報酬を請求することが出来ません。診療報酬の算定基準は、要件を満たしているか否かだけであって、設備投資の有無も大小も関係がありません。
従って、投資を行う際には「患者数が増えるなりなんなりして、投資額を上回る。」と判断できない限りはコストとしか言えないわけです。新たな診療報酬として認められるには、それなりのエビデンスと実績が必要であり、身銭を切ってまでこれを実証するのは非常に困難です。また、多くの施設の努力によって診療報酬に収載されても、C/Pに見合わない保険点数であったり、改定による点数の縮小など、十分な投資分の回収が出来ないリスクもあります。
経営的に余裕がない医療法人にとっては、必要充分な要件を満たせば、それ以上を求めないと判断することも止むを得ない背景もあるわけです。
では、他の医療先進国ではどうなっているのでしょうか?電子カルテを物差しとして話をすると、日本の普及率が35%前後なのに比べ、ノルウェー、オランダ、イギリス、ニュージーランドなどは99~95%と高い普及率を示しています。アメリカやドイツ、カナダはそれよりも少し低い水準となりますが、それでも80~50%と日本よりは普及しています。日本とこれらの国との違いはどこにあるのでしょうか?
医療水準やIT関連技術、経済規模どれをとっても日本が遅れをとっているとは思えません。
国を挙げての取り組みが不足している
結論として、この差を生んでいるのは、国(政府)がどこまで介入しているかに尽きると思っています。例えば、イギリスでは99~100%の電子カルテ普及率のイギリスなどでは、Pay for performance(※1)という成功報酬制度を取り入れていますし、フィンランドやカナダなどでは、国が主体となってEHR導入を進めています。
韓国では、医療と社会保険・金融・教育分野のIDが共通化され、どの医療施設でもひとつのカードで保険確認等が出来るようになっています。日本の場合、マイナンバーや日本版EHRだ、データ連携基盤だ、と色々掛け声はかかっているのですが、その内容と進捗状況にはあまり危機感が感じられません。いずれにしても、民間や業界主導では限界が既に見えており、国家主導で「こうやります!」と積極的に介入しない限り、利権構造や囲い込みのしがらみから抜けられない印象が拭えません。
多くのベンダーさんとお話させていただいていますが、企業規模が大きくなるほど情報公開に消極的なる傾向にあるのは事実です。もちろん様々な事情があるのは理解できますが、国が動きにくいからこそ、その大きな影響力をバックに、ユーザー目線での改革をして頂けるとありがたいのですが・・・。
※1 余談ですが、先に述べたP4P制度にも問題があって、診療の標準化・実施に対するプロセス上のエビデンスは評価されているものの、殆どの研究においてアウトカムに結びつかないということが示唆されるエビデンスとなっているようで、医療政策や医療経済学の方面の方からは否定的な意見が見られます。
法整備が追いついていない
昭和23年に医療法が制定されて以来、医療の現場は大きく様変わりしました。その度に、新しい法令やパブリックコメントが出されて来ましたが、決して充分ではない部分があります。例えば、筆者は個別指導の際にカルテ記載の形式について指摘を受けたことがあります。
厚生局の職員は、普通の対面診療を前提とした2号用紙記載の話をされるのですが、どう考えても指導内容が維持透析の実情にはどうしてもそぐわないのです。向こうとしては原則論を述べるしかないのでしょうが、どうにも釈然としませんでした。昨今では、遠隔診療がホットなトピックとなっていますが、こちらも所謂法的グレーゾーンなのではないかということでリスクを取れないと判断される施設をいくつも見てきました。
日本は、ベネフィットよりもリスクを重要視する国民性ですから、医薬品医療機器等法なども含め、様々な訴訟リスクも考慮しなければいけないことも阻害要因のひとつとなっている気がしています。
医療システムSEから見た医療のIT化が進まない現状の理由
続いては、院内で医療従事者兼SEとして働く私の視点から書きたいと思います。
そもそも、病院内にSEもしくはシステム管理者などが常駐している病院がどれだけあるのでしょうか?
どこをしらべても出てこなかったのであくまで推測ですが、おそらく全施設で見たら0.1%以下ではないでしょうか。一部の個人病院や大学病院などのように、院内に常駐するSEを常駐させている施設もありますが、システム管理者ではなく開発者ということになると、もっと少数派になるかと思います。
外注の客先常駐SE(顧客の社内に常駐するSEのこと)に関しても、電子カルテメーカーさんなどでも導入期支援でくらいしかあまり聞きません。もちろん、独自にシステム開発しているドクターやコメディカルもたくさん知り合いにいますし、外部にシステム会社を持っている医療法人さんも知っていますが、組織的に活動するとなると難しく、やはり少数派である事は間違いありません。
業務システム開発における考え方が異なる
海外を引き合いに出してしまうと、事情が違うだろ!と言われてしまいそうですが、まずは聞いていただければと思います。例えばアメリカの場合、業務の基幹をなすシステムは独自開発されたものが多いのです。もちろん開発費がかかる話なので、必ずというわけではありませんが、規模が大きくなるに従ってその傾向は顕著になります。
この理由は至極簡単で、「システムに合わせて業務を変えなければいけなかったら、業務の効率化につながらない」と考えているからです。自分たちが考えた業務をスムーズに実行するためのものが業務支援システムであるのならば、お仕着せのシステムの仕様が窮屈に感じるのは当然の帰結です。
また、日本のように国民皆保険ではありませんので、諸外国の医療施設の経営者は、日本人経営者に比べて概ねシビアな経営的視点を持って望んでいます。例えば、アメリカのクリーブランドクリニック(超有名な急性期病院ですね)などの超一流病院では、医師もミニMBA講座のようなものを学ぶことが仕事の一部となっています。医院を開業する際には、電子カルテやオーダリングシステムより先に、PMS(Practice Management System:医院マネジメントシステム)を導入、来院患者数や収益を視覚化し、コストの回収を考えるのです。
導入時・稼動後のシステム運用に関する考え方
導入時・稼動後のシステムの運用に関しても考え方が大きく異なります。日本の場合、完成されたパッケージ製品を購入し、一部機能だけカスタマイズすることが多いように感じます。また、多少の不都合ならば、と眼を瞑ってしまっているケースも散見されます。
何かある度にカスタマイズするのはコスト面でも負担ですし、業者との折衝することが負担と考えているからです。その為、導入の前にヒアリングを行ってもらい、事前にシステムの確認を行うのですが、この作業があまりきちんとなされてるとは思えないケースが多く、実際に相談されることも多いのです。確かに、この一連の作業は煩わしく感じるかもしれません。ですが、とても重要な工程なのです。
ユーザーは、正しいニーズを伝えることでベンダーから最適な提案を用意してもらい、ベンダーは顧客が何を求めているのか真摯に聞き取り、正しい情報を公開する。この事が適切に成されていないために、導入後不満が発生するのです。双方のコミュニケーション不足から始まった些細な手抜きが、ユーザー側からしてみると、期待していれば裏切られたとの思いに、懐疑的な思いはより強固な反発へとつながるのです。
システム開発の手法には、詳細な設計図を作り完成品を作り上げて売るウォーターフォール型開発と、現場で細かい改修を続けながら作り上げていくアジャイル方式とあります。業務システムの意義を考えるとアジャイル型が適していると考えられますが、この手法は多くの労力と時間を必要とします。
システムの専門家のいない医療施設でアジャイル型の開発をするには、費用のかかる常駐SEを置きつづけ、膨大な開発費を払うということになり、非現実的な話となってしまいます。パッケージの製品を購入する際には、このことを避けるためにも、導入前後の双方の綿密な打ち合わせが必要となるのです。
医療側と企業側の思惑の乖離が大きい
この様に、医療側は「システム導入したら改善される」と漠然と考えていますし、企業側は「良いもの作ったんだから上手く使って貰わないと」と考えているわけですが、この状態でお互いに思考停止してしまっているのが普及を妨げる要因のひとつだと感じています。
外資のシステムでは、こちらが煩わしいと感じるほど、導入後にも運用面でのサポートなどの介入をしてきます。もちろん、カスタマイズが発生すれば売り上げになるという考えもあるのでしょうが、「何か不都合はありませんか?もっと活用できそうな案内が出来ます。」と連絡してくるサポートの対応をしていると、こちらが連絡するまで何も言ってこないベンダーとでは良好な関係は構築できなさそうだなと感じてしまいます。
システムの運用に際し、もっとアクティビティをもって改善対策を行うことで結果が出る。そして、その成功体験こそが、更なるシステムの導入、業務改革へとつながるはずです。
導入前後の負荷に関しては軽減する方法というのもいくつかありますが、今回はテーマと異なりますのでまた別の機会にいたします。
医療従事者の視点から見た医療のIT化が進まない理由
最後は、医療従事者の視点から見た医療のIT化が進まない理由について紹介します。
導入前のヒアリング、導入前後の教育の不足
医療施設内部の人間は、たいていの場合ITに関しては素人の集まりです。本来、システムの導入には「どの業務をどの様にしてどうしたいのか」という明確な目的や目標があるはずですが、とにかくIT化するにはシステムを入れれば良い程度の考えなのかなと思ってしまうような、選定が適切になされていないと感じるケースが多くあります。
選定の基準自体も、「大手の方が安心できそう」だとか、「シェアが大きいのはきっと良いシステムだからだろう」といった根拠のない理由で選ばれることも多く、この様な選定をしてしまった施設の多くで、「こんなはずではなかったのに」「思ったほどではなかった」という声が出てしまっているのです。
通常、システム開発を行う際には、最初に要件定義書と呼ばれるものを作成して必要な機能を明確にします。わかりやすく言い換えると、「なにが欲しいのかを売り手にきちんと要求する」ということです。この当たり前の作業を(やらないという事は無いでしょうけれども)しっかりと行っていないケースが多いのです。
電子カルテが欲しいといわれれば、企業側は自社のシステムの良い点をアピールして売り込もうとしてきます。その結果、「良いかもしれない」と思って導入するわけですが、なんとなく買ったものが理想的な働きをしてくれる保障などどこにも無いのです。
皆さんが美容院へ行ったときを考えてみてください。
結果的にどうなりたいのかイメージを伝え、髪質や全体のバランスなどを美容師さんと相談すると思います。システム選定の過程も同じで、必要なことを優先順位付けして明確にし、購入しようと考えているシステムにどれだけ実現性があるのか、費用対効果は適切なのか、従来業務への支障や大きな変更を強いる物ではないのか、などを判断するべきなのです。
重ねて言いますが、ソリューションの導入時には、「どんなことがしたくて、どんな機能が必要なのか」を正しく要求することが重要です。可能な限りという前提条件はつきますが、システムに業務を合わせるのではなく、自分たちの従来までの業務フローに沿うようにシステム側の仕様をカスタマイズさせるか、業務フローに沿って使えるシステムを導入するほうがCPの高い結果が得られます。
施設とベンダーの関係が良好で、双方向のコミュニケーションが断続的に行われている場合では、バージョンアップやカスタマイズを繰り返すことで製品力はより向上し、ユーザーはより高い満足度を得られるでしょう。この業者とやり取りする作業を手間と考え、結果だけを求めてしまう医療施設では、結果的に有効なICT利活用はさほどの効果が期待できず、他の新しいチャレンジに対しても消極的になるという負のスパイラルを形成してしまうのです。
年齢層による医療従事者のICTリテラシー
現場で電子カルテや部門システムを利用する人の中で一番人数が多いのは、おそらく看護師でしょう。一般的には年齢層が上がるにつれ、また男性よりは女性で、パソコンに対する抵抗感が高い傾向にあります。電子カルテなどの普及が遅れている中小規模病院~診療所における看護師の年齢層は、大規模病院に比べて高い傾向にあり、まさにパソコンを使った作業への抵抗感を持つ人の多い世代となっています。
インターネット利用に関しては全年代で利用率が高くなっており、携帯のアプリなどへの抵抗感を持つ人は減ってきていると感じます。その一方で、比較的簡単な操作で直感的に使えるアプリと比較すると、まだまだ医療系システムのUI、UXはいまひとつであると感じます。総務省の情報通信白書によると、e-TAXなどの公的機関のオンラインシステムが認知率の割に利用されていないのは、「なんか難しそうだから」「今までの方法で困っていないから」が主な理由となっています。
つまり、苦手意識を持つ人が多い職場環境に導入するわけですから、UIは機械オンチの人でもなんとなく扱えそうと思わせる造りにしないといけないでしょうし、これを使ったらすごく便利になる、と思わせないといけないのです。
また、この様なICTに抵抗感を持ったスタッフでも、それ以外に素晴らしい能力を持っているはずです。ICT化の取り組み次第では、彼らの持つ他のアドバンテージを更に活かすことも可能となるでしょう。前段で、導入前後の準備が足りない傾向にあるという話をしました。この準備というのは、必要とする機能について正しく理解してもらい、実際の業務フローをどの様にするのかまで落とし込んで打ち合わせをする作業になります。
もしも抵抗勢力といえるスタッフが居たならば、是非とも導入プロジェクトチームの一員として抜擢し、この段階から忌憚のない意見を上げてもらうべきです。理解できないものごとに対し恐怖や拒否感をもつことが多いのが人間という生物ですが、一方で、欲深い側面があるのも人間です。一度恩恵を享受することで要求レベルが高まり、全体のレベルアップが図られます。つまり、批判的な姿勢の職員の意見を積極的に取り入れ、尚且つ成功体験を少しでも積み上げていくことが、成功へのカギなのです。
患者と向き合うシステム
医療従事者にとっては、「患者と向き合う」のは当たり前のことであり、一番大事なことです。電子カルテに対する患者側の不満でも、「先生が画面ばかり見ていて、顔を見て話してくれない。」という意見が必ずあがるように、どんなに優れたシステムでも、画面ばかり見つめている事は医療従事者にとっても由々しき事態なのです。
医療を、最適かつ効率的に行うためにICT技術は大きく貢献してくれますが、医療の根本は患者さんとのコミュニケーションです。ICT化を進めるためのキーワードとして、「効率化」という言葉をつい使ってしまいがちですが、効率化は「手段」であって「目的」ではありません。効率化だけを求めてシステムを導入する事は、結果的に患者さんの信用を失い、職員のモチベーションをも下げてしまうのです。
私の職場では、腹膜透析外来の問診をタブレットで行っていますが、殆どのケースで看護師がしゃがみこんで患者さんと目線を合わせて一緒に入力しています。手間を減らすという意味での効率化にはあまり寄与していませんが、声かけしながら一緒に入力することで問診の精度があがり、患者が単独で記入する問診表だけでは聞き取れなかったと考えられる情報が入手できることが多々あります。
問診データは、入力者の文章構成の癖に依存せず定型のフォーマットで出力される為に可読性が高まりますし、電子カルテ側でボタンひとつで参照利用できるようになっています。診察直前にこの問診結果に眼を通してから診察に当たることで、情報聴取の二度手間を軽減でき、カルテ入力の負荷を大幅に減らすことが出来るようになっています。単独のシステムとして作りこむことを敢えてせず、アナログとデジタル、双方のメリットのを生かした良い例ではないでしょうか。
まとめ
以上、3つの視点から医療系ICTが普及しにくい理由をテーマとした私見を述べさせていただきました。
もちろん、ユーザーホスピタリティの高いベンダーさんもあれば、意識高い取り組みをされている医療法人さんも数多くあります。いずれにしましても、医療の現場において正しい形でICTの利活用が進むことは、社会保障に対する大きなベネフィットをもたらすと信じております。
その為には、医療者側と企業側、行政がいま以上に相互理解を深めていくことが必要と感じており、それこそが私たちLINQUAが存在する意義であると考えています。